ピンク・レディーの稼いだ数百億円を「溶かした」大物総会屋 (2/2ページ)
そんな縁から、貫氏がピンク・レディーを売り出すために芸能プロを立ち上げた際に、Oが資金の面倒を見るようになったという経緯がある。結局、このOを通じて、ピンク・レディーが稼いだ金は、そのほとんどが裏社会へと流出していったといわれているんですよ」(当時を知る音楽関係者)
その手口の多くは地方興行を利用したものだったという。
当時、ピンク・レディーの興行には1000万円近くの値がついていたというが、これをOの息のかかった代理店を通じて、T&Cに発注がいくようにしていたという。その取り分は、代理店が7割、T&Cが3割程度。テレビ出演も同様で、本来、ギャラ100万円のはずが、T&Cの取り分はわずか5万円程度だったという話もある。
これでは、T&Cに金が残るはずはない。もちろん、20歳そこそこのミーとケイの2人に、こうした裏社会の海千山千に対抗する手立ても、知恵もあるはずはなかったのだ。
2人が本当に大金を得たのは、02年。パチンコ「CRピンク・レディー」が10万台の大ヒットとなり、それぞれ1億円ほどのロイヤリティを手にしたという。その後、再結成して復活コンサートで全国を回ると、かつてのファンの中高年でどこも盛況となった。
苦い思いもたくさんしただろうが、2人はピンク・レディーという大きな財産に感謝したことだろう。81年の解散から、20年以上が経っていた。