「名古屋飛ばし」の悲劇、教育の世界でも...? 旧制高校・帝国大学の設立も「後回し」 (2/3ページ)

Jタウンネット

請願レースに勝った、最後の帝国大学

帝国大学の方も名古屋が最後になった。投稿をくれた男性も、

帝国大学は9大学(国内の7大学・ソウル・台北)ありましたが、名古屋帝国大学は一番最後に設立されました

と訴えている。

名古屋帝国大学は1939年設立で、こちらは1886年設立の東京帝国大学に比べると半世紀も遅れた。帝国大学はまず首都東京、次に関西の京都に設立される。ここまでは納得ずくだが、この後政界では、1地方ごとの設立が優先され、東北帝国大学(1907年)九州帝国大学(1911年)、北海道帝国大学(1918年)が開学、さらに植民地の京城(ソウル)と台北にも設立された。

大正から昭和にかけては東に東京帝大、西に京都帝大と日本ナンバー1・2の大学があるので後回しにされた。これは残念ながら名古屋飛ばしの典型だろう。京都に近い大阪でも1931年に大阪帝国大学が開学し、当時の人口ベスト4の都会(東京・大阪・名古屋・京都)で帝国大学が無いのは名古屋だけになってしまった。

それでも名古屋での帝国大学設立の機運は高く、1927年には既に名古屋綜合大学設立期成同盟会が結成され、議会で名古屋市に総合大学の設立を請願する建議が可決されている。この年には名古屋の他にも岡山・新潟・金沢・広島・松江などからも総合大学設立請願の建議が可決されていて、結果的に名古屋はこれらの都市との誘致合戦に勝った形だ。

昭和10年代になると名古屋周辺は航空機産業を中心に重工業が発達し、軍需産業の一大拠点となる。これが政府に重い腰を挙げさせ、理工系を中心に高度な人材を育てるべく1938年に名古屋帝国大学開設が決まった。創設費は何と全額を愛知県の寄付で賄ったというから、地元の熱意がうかがえる。

見方を変えれば、帝国大学とナンバースクールをともに持つ都市は東京・仙台・京都・名古屋だけなのだ。福岡は明治初期には熊本の方が大都市だったために旧制高校設置は遅れ、大阪は先に高等中学校が設立されながら高校(三高)に改組する時に京都に移転してしまった。開拓が始まったばかりの札幌も北海道帝国大学こそ1918年設立だが、前身は札幌農学校とやや特殊な出自で、旧制高校は戦後の教育改革までついに設立されなかった。

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