品川区大井にある大井蔵王権現神社を調べてみたら面白い言い伝えを見つけた (3/8ページ)

心に残る家族葬

そのため、日本における「天狗」は、中国におけるものと微妙に異なる形で定着していった。

■鳴りを潜めていた天狗が、再び世に知れ渡ったきっかけ

その後「天狗」は日本国内においては、しばらく鳴りを潜めていたのだが、平安時代後期に、何故か再び世に現れ出ることになる。『宇津保(うつほ)物語』では、「天狗」は山奥で不思議な琴の音を奏でるもの、『源氏物語』の「夢浮橋(ゆめのうきはし)」では、姿のない木霊だった。しかしだんだんと姿が明確なものとなっていき、仏教説話集の『今昔物語集』では、幻術・妖術をもって、日本社会に深く根付いている仏法や仏教修行者の邪魔をするもの、そして藤原実資(さねすけ、957〜1046)の日記『小右記(しょうゆうき)』などでは、一族を祟ったり、諍いをもたらしたりするものとなる。しかもその姿は、鳥の「トビ」だったり、背中に鳥の翼があり、口も鳥のくちばしを持つ半鳥半人の妖怪として描き出されていく。

何故天狗の姿が「鳥」になったのかは判然としないが、仏教伝来とともにインドの神鳥ガルダが「迦楼羅(カルラ)」として日本にもたらされていたことに加え、飛鳥時代に中国から渡来した伎楽(ぎがく)の中に「迦楼羅面」というお面があることが大きな要因になっているのではないかと考えられている。

更に鎌倉時代に成立した『源平盛衰記』などには、僧侶でありながら驕慢な者は死後、「天狗道」に堕ちるという記述がある。旧来言われてきた「餓鬼道」などとは異なる、日本オリジナルの地獄だ。それは、今日も用いられる 「鼻が高い」などの語源である、高慢な僧侶が多々存在していたことへの皮肉、戒めの意味があるのだろう。

■赤顔に高鼻という天狗のイメージを形成したのは室町時代後期

そして我々がよく知る赤い顔に高い鼻、そして山伏姿の天狗は、室町時代後期頃から登場した。それは仏教伝来以前の土着的な山岳信仰に、仏教の密教の呪法が融合した形の、山中での修行が特徴的な修験道が、伝統的な仏教寺院 とは異なった形で大きな勢力を有するようになってきたことと大いに関連している。そうしたことから、鳥タイプの烏(からす)天狗よりも、今日ではある意味メジャーな天狗像となっている。

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