そこまで過酷ではなかった?徳川家康のあまり知られていない人質時代を紹介 (3/3ページ)
雪斎が開寺した臨済寺/Wikipediaより
義元にも竹千代は気にかけられ、弘治元年(1555)に14歳で元服する時には義元から「元」の字を貰い「松平元信」と名を変えています。また義元の姪である築山殿と結婚するなど人質の身でありながら義元に期待をされていたことがわかります。
ここまで今川家には良くしてもらったので桶狭間の戦いで敗れると自害を考えますが、松平家の菩提寺の住職に止められます。そこで考えを改め今川家の人質から独立し、一人の戦国大名として生きていくことを決めたのでした。
最後に幼少期に共に過ごし厚遇と呼んでもいいくらい手厚く面倒を見てくれた義元は竹千代にとって親代わりの存在だったのだろうと思います。
義元は政略のためにここまで手厚くしたと思いますが、それでも何不自由なく過ごした人質時代は竹千代にとって多くを学べる刺激が強めの時間だったのかなと思います。
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