そこまで過酷ではなかった?徳川家康のあまり知られていない人質時代を紹介 (1/3ページ)
徳川家康でイメージできるのが幼い頃、人質だった苦労と経験から忍耐力を身につけ天下を勝ち取った苦労人の印象が強いと思います。
しかし、家康の人質時代は意外と待遇の良い生活を送っていました。
今回は家康のあまり知られていない人質時代をご紹介したいと思います。
狩野探幽画:徳川家康像/Wikipediaより
人質になった理由天文11年(1543年)に産まれた家康の幼い頃は竹千代と呼ばれていました。
竹千代像/Wikipediaより
その竹千代がなぜ人質になってしまったのかというと家中の分裂が原因でした。
当時、後に徳川家となる松平家は竹千代の祖父松平清康の暗殺によって勢力が衰えていました。竹千代の父、松平広忠の代になると多くの家臣が広忠の元を離れていきました。
松平清康像/Wikipediaより
それを見逃さなかったのが織田信長の父織田信秀で松平家が治める三河国へ侵攻して来ます。