歴代総理の胆力「大隈重信」(2)食客・五代友厚からの箴言 (2/2ページ)

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ちなみに、当時の第一級花街だった新橋、柳橋の芸妓の1時間の花代も1円だった。

 また、政府による「此の学校を目して謀叛人養成所となし」などの“悪宣伝”に加え、スパイを学内に潜入させるなどの妨害も多々あったから、いよいよ経営難に拍車がかかったのだった。

 しかし、大隈はめげることなく、明治40(1907)年4月、早稲田大学と名を改めて総長に就任。その就任演説で、「本校に対する毀誉褒貶を、自己一身への毀誉褒貶よりも、一層、重く感じていた」と口元をぎゅっと結び、「学問の独立」への尽きぬ情熱を明らかにしたのであった。

■大隈重信の略歴

天保9年(1838)3月11日佐賀県城下の生まれ。立憲改進党結成、東京専門学校(早稲田大学の前身)を経て、伊藤、黒田、松方内閣で外相。憲政党結成後、60歳で外相兼務の第一次大隈内閣を組織。76歳で第二次内閣組織。大正11年(1922)1月10日、83歳で死去。国民葬。

総理大臣歴:第8代1898年6月30日~1898年11月8日、第17代1914年4月16日~1916年10月9日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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