歴代総理の胆力「大隈重信」(3)76歳で総理大臣に復帰も… (2/2ページ)

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人は、よく得意で躓つまずくとされている。不得意なことには慎重に構えるが、得意には慎重さを忘れることが多いことにほかならない。大隈も、これで足をすくわれたということだった。

 その顛末は、日英同盟をタテにしぶるイギリスを説得、第一次世界大戦に参戦してしまったことに始まった。その後、権益強化を狙って中国に進出、「対華二十一ヵ条」を強引に要求したのが命取りとなった。40年来の知友の国民党党首だった犬養毅(いぬかいつよし)らに反対されながらの、政策ミスということだった。この経緯がのちに日本が中国への本格的侵略を果たす出発点にもなっている。

 また、外交以外にも、「国防充実」のスローガンの陰で国民生活のための諸政策がおろそかになり、政権最大のバックグラウンドだった民意もさすがに離れざるを得なかった。結局、国民が泣き、軍部と一部の資本家が笑うという2年半の失政続きの中で、第二次内閣に幕を引いたのだった。

 晩年の大隈は、さすがに「才気、村正の妖刀の如し」とかつて木戸孝允(きどたかよし)が評した煥発さは影をひそめ、「顧みて過去の行程を想うとき、多くは失敗と蹉跌との歴史である」(大正10年)と、来し方を振り返ったのであった。

■大隈重信の略歴

天保9年(1838)3月11日佐賀県城下の生まれ。立憲改進党結成、東京専門学校(早稲田大学の前身)を経て、伊藤、黒田、松方内閣で外相。憲政党結成後、60歳で外相兼務の第一次大隈内閣を組織。76歳で第二次内閣組織。大正11年(1922)1月10日、83歳で死去。国民葬。

総理大臣歴:第8代1898年6月30日~1898年11月8日、第17代1914年4月16日~1916年10月9日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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