「ビートたけし、長嶋茂雄とゴルフに行ったら!」松尾雄治が明かす爆笑&感涙秘話 (6/6ページ)

日刊大衆

その後続けて、“松尾雄治なんですけどね”って言っていただけまして(笑)」

――優しいですね、たけしさんは。

「かと思えばですよ、やっぱりブラックユーモアもすごいんですよ。いつだったか、たけしさんが“松尾よー、ゴルフでボールがどうしてもフック(左にいく)してしょーがねーんだよな。分かったんだけど、これ、クラブがおかしいんだよ”って言われて。当時はパーシモンと言って木製のクラブなんですけど、自分専用のを作りに行こうってことになって、工房に行ったんですよ。そしたら、たけしさんが“思いっきりフェース(ゴルフの打面)を開いちゃえ(右に向ける)”って言って、その通り作らせたんです。で、世界に一つだけのクラブが完成して練習場に行ったんです。さっそく、たけしさんが初球を打ったら、変なクラブなんで思いっきり曲がっちゃって、隣の隣の打席の人にブツけそうになっちゃって。そしたらたけしさん、打った瞬間に僕のほうをにらんでんの。まるで、僕が打ち込んだみたいじゃないですか。で、球を打ち込まれた客も、隣の僕のほうをにらんできたんです。僕はそんなに球が曲がらないし、普通のクラブで打ってましたから、ミスショットするわけないのに。困ってたけしさんのほうを見たら、笑ってるんですよ。なるほど、こういうところがすごいんだなって、改めて思いましたね(笑)」

――“いたずらっ子”なんですね、やっぱり。

「だから、本当にたけしさんが大好きで。僕、毎日、“長嶋さんとたけしさんが、元気でいますように”ってお祈りしてますもん。あのお二人には、本当に世話になっているんです。長嶋さんは親父以上、たけしさんは頼りになる兄貴分。これは生涯、変わりませんね」

――実のお父さまとは和解したんですか?

「本当の親父にも感謝はしています。だって、うちの親父は“勉強なんか、どうでもいいから、ラグビーだけやれ!”っていう人でしたから。でも、その親父の教えがあったからこそ、長嶋さんやたけしさんに出会えた。その意味で、親父には感謝してますね」

――いい話ですね。ラグビーW杯も迫っていますし、ご活躍期待しています!

まつお・ゆうじ 1954年、東京生まれ。日本ラグビー史上“最高のスタンドオフ”と呼ばれる。小学校時代からラグビーを始め、明治大学に進学。4年生のときには司令塔として当時低迷していた明大ラグビー部を初の日本一に導く。卒業後、新日鉄に入社。79年から監督兼選手として社会人選手権、日本選手権7連覇達成という「不滅の大記録」の原動力となる。V7達成試合を最後に新日鉄釜石を退社。引退後、スポーツキャスターへ。98年に普及教育委員に就任。現在は解説者、タレント活動、講演活動などを通じてラグビーの普及、競技者の育成に努める。

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