武家や天台宗のトップにも君臨!鎌倉時代の超人「護良親王」はまさにパーフェクトヒューマン! (2/3ページ)
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仏門に入った護良親王は梶井門跡三千院の門跡を継承し、門主となります。護良親王は住処である門室を法勝寺周辺の大塔に置いたので、「大塔宮(おおとうのみや)」と呼ばれていました。
嘉暦2年(1327)の20歳になると天台宗の総本山、比叡山延暦寺のトップである天台座主として君臨します。天台座主には元徳元年(1329)にもなり、2回君臨していました。
しかし、天台座主でありながら優先することは鎌倉幕府討幕のための武芸の研鑽でした。これには門徒も護良親王のことを「不思議の門主」と言うくらいでした。
これが後に功を奏し、比叡山の僧兵3000人の組織化に護良親王は成功しています。
僧兵の古写真/wikipediaより
武家のトップにも!護良親王は元弘元年(1331)に起きた元弘の変を機に還俗し、挙兵します。日ごろから鍛えていた武芸を見せるのは今と言わんばかりに護良親王は吉野や高野山など各地を転戦してゲリラ部隊のように鎌倉幕府と2年間戦い続けました。
途中で後醍醐天皇は隠岐へ流されるのですが、その時に護良親王は識見と軍略で反鎌倉幕府勢力をまとめあげ戦い抜いたリーダーとしての一面も持っています。
元弘の変に勝利した後醍醐天皇は念願だった建武の新政を始めます。この新政で護良親王は征夷大将軍に任命され、足利尊氏と対立します。