ゲスの極み!鬼畜の所業!平貞盛が自分の孫を殺そうとした理由がエゴすぎる【下編】 (4/4ページ)

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黄昏)時にございますれば……まさか判官代がお守りするべき先生の御馬を奪って乗るような無体をはたらこうとは夢にも思わず、万に一つそのような事があれば、お役目を軽んじた咎によって判官代は死罪とせねばなりませぬ……となれば、結局のところ判官代は死んでしまうのですから、同じことでしょう

「……むむむ……」

完全に論破されてしまった貞盛はぐうの音も出ず、この件については沙汰止みとなったのでした。

終わりに

以上が『今昔物語集』が伝える「丹波守平貞盛、児干ヲ取ル語(たんばのかみ たいらのさだもり、じかんをとること)」の概略です。

ところで、この物語を伝えたのは貞盛の「一ノ郎等(ろうとう。家来)」である舘諸忠(たての もろただ)の娘とあり、本来であれば最も主君に忠誠を誓うべき家来の身内からこんな話が出てくるくらいですから、真偽のほどはともかくとして、晩年の貞盛はよっぽど人望がなかったのであろうことが察せられます。

梟首に処された平将門の首級。葛飾北斎『源氏一統志』挿絵。

もっとも、平将門公は日本の歴史上比類なき大逆賊でありながら「判官贔屓」の人情も手伝って、今なお同情的に見る者も少なくないため、貞盛が「悪役」にされてしまった創作or仮託の可能性もあります。

かつて「武士」が「兵(つわもの)」「武夫(もののふ)」などと呼ばれていた時代、坂東の荒夷(あらえびす。野蛮人)が京の都や西国の人々からどのように見られていたか、そのイメージを印象付けるエピソードの一つと言えるでしょう。

※参考文献:
乃至政彦『平将門と天慶の乱』講談社現代新書、平成三十一2019年4月10日
正宗敦夫『日本古典全集 今昔物語集』日本古典全集刊行会、昭和七1932年

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