歴代総理の胆力「原敬」(2)「食事改善要求運動」で退学処分! (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「原敬」(2)「食事改善要求運動」で退学処分!

 また、原もその田中も人心収攬術にたけていたが、共通したのは“使える”と思った人物に対しては、フルネームで名前とその経歴を頭に叩き込んでいたことだった。田中が官僚に対してそれを駆使し、縦横に大蔵省などの役所を動かしたように、原も自分を衆院選で支援してくれる出身地・岩手県内の県市町村議会の議員のフルネームをすべて暗記、選挙の手足にもなってくれる彼らを、ことのほか大事にしたものだった。しかし、どんな明敏な人間にも、物忘れはある。会った際にままフルネームが出て来なかったとき、原は頭のいいテクニックを使ったのだった。例えば、こうである。

「やあ、しばらくだな。元気か。アンタの名前が出て来ない‥‥」

「山田ですよ」

「そんなことは分かっている。山田の下の名前だ」

「三郎です」

「そうだ。思い出した。山田三郎クンだった」

 この手法、なんということはなく、原はフルネームをすべて忘れてしまっていたのだが、下の名前だけ忘れたフリをして、フルネームをすべて引き出し、親近感をかもしてしまうという“スゴ腕”ぶりを発揮したということだった。

 これをマネたのが田中角栄で、新潟の選挙区で支持者のジイサン、バアサンと歓談するときに、よくこの手を使って親近感を深めた。

「アノ田中先生が、あたしの名前を覚えていてくれた」

 感激したジイサンもバアサンも、選挙の際はわが身を忘れ、田中のために駆け回るということだった。田中が圧倒的に選挙に強かった底流には、原譲りのこうしたテクニックがあったということである。原の頭脳は、歴代総理の中でも後年とんでもない頭脳の持ち主と言われた田中と、“双璧”だったと言ってよかったのである。

 一方、「平民宰相」で知られた原ではあったが、実は平民の生まれどころか、西園寺公望(さいおんじきんもち)などの公家出身者を除けば、武家の中でもトップクラスの家柄の出であった。祖父は盛岡藩(旧南部藩)の家老職、父親も御用人といった具合だった。

 平民となったのは、本家を兄が継いだことにより、分家することになったのがキッカケだった。折から、戊辰戦争(ぼしんせんそう)で盛岡藩は新政府軍に敗れ、賊軍として没落した。

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