歴代総理の胆力「原敬」(3)原政権の誕生は時代の流れの象徴だった (2/2ページ)

アサ芸プラス

「初の政党内閣」を率いた原は、「太く短くやる決心だ」と語ったうえで、閣僚は民衆の期待に応えるべく藩閥の圧力をはねのけ、陸・海相と外相を除いてすべて政友会から登用した。そのうえで、原は大の政党嫌いにして原の政敵でもあった元老・山県有朋に対して「情と理」をからめての懐柔策にも腐心、スムースな政権運営を目指したのだった。

 しかし、振り返ればその実績は圧倒的なものではなかった。その背景には、第一次世界大戦終結による不況の深刻さ、頻発する疑獄事件の対応などに追われ、骨太な政策を打ち出す余裕がなかったという不運さがあった。外交的には、前内閣のシベリア出兵の後始末に明け暮れたにとどまった。内政的には当時、過熱一途だった“試験地獄”を解消するために大学や高等学校の拡充に着手したほか、政党政治の基盤強化を目指しての小選挙区制導入を含む、選挙法改正にとどまったと言える。

■原敬の略歴

安政3(1856)年2月9日、陸中国(岩手県)盛岡城下の生まれ。生家は旧南部藩家老職。分家独立して、平民に。第四次伊藤内閣逓信相を経て、衆議院議員当選。総理就任時、62歳。大正10(1921)年11月4日、東京駅にて暗殺される。享年65。

総理大臣歴:第19代1918年9月29日~1921年11月4日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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