古代マヤ文明の滅亡は戦争が原因ではなかった?破壊的な戦闘行為が長く繰り返されていた可能性(米研究) (3/5ページ)

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・ウィッツナ考古学遺跡周辺で新たに発見された象形文字の石碑

 研究者たちが新たな発見をしたのは、ウィッツナ考古学遺跡周辺で過去の環境変化を調べていたときのことである。

 ウォール氏は、

この研究の最大の難関は、特にペタン地区の現場での作業がほとんどでしたが、とても辺鄙なところにあるということ。ラグナ・エクナーブ湖までの道路はなく、100mもある険しい断崖をすべての機材や装備を運び込んだり下ろしたりしなくてはならなかった。

湖の周囲には植物が生い茂り、草をかきわけて道を切り開いて水辺にたどり着き、サンプル調査のための橋脚を建てるのに、8人のスタッフで3日間もかかった。

胸の深さの水の中に立って鉈をふるわなくてはならなかったこともあったが、水辺にたどり着いたら今度はたくさんのワニがこちらの動きをじっと見ているのに警戒しなくてはならなかった

と苦労を語る。

 その甲斐あってか、思いがけずここで象形文字の書かれた石碑を発見。町の王に捧げられた碑で、「バラム・ホル」というマヤの都市の名前が刻まれており、統治のシンボルである雷神・カウィールの錫杖(僧が持ち歩く杖)と、拘束された捕虜の盾とともにあったそうだ。

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image by iStock

・攻撃を受けて焼失してしまったマヤの都市「バラム・ホル」

 以前、ウィッツナの南32kmにあるマヤの都市・ナランホで発掘作業をしたときに別の石碑が見つかっていて、そこには紀元697年に「バラム・ホル」が二度目の攻撃を受け、焼かれたと記されていた。
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