「自己」がAIに置き換わる時代の文学とは? 作家・片山恭一が考える「AIがもたらす人類の未来」(後編) (2/5ページ)
すごく働きやすい職場なのは確かでしょう。でも、それは仕事自体が非常にストレスフルであるということを穏やかに表現にしているのだと思います。あれだけ居心地の良いオフィスでないと彼らの仕事はこなしきれなくなっているのではないか、と。
――彼らの仕事がストレスフルであるということが、何を示しているのでしょうか?片山:ムーアの法則をご存知ですか。集積回路上のトランジスタ数は18か月ごとに倍になるという考え方です。彼らの仕事はコンピューターを相手にしているわけですから、コンピューターの成長ペースに合わせていかないといけない。そして、18か月ごとに商品の性能は良くなっていく。これは商品を使う側にとっては良いことだけど、開発したり管理したりする側にとってみれば、そのスピードにビジネスを合わせていかないといけないということですよね。これは相当ストレスフルなことだと思います。
シアトルを案内してくれた人はしばらく前にMicrosoftをやめたそうですが、「疲れた」と言っていました。これ以上はやっていけないと。そうした過度にストレスフルな環境を生き延びている人たちが、AmazonやMicrosoftのエリート社員なのだろうと思います。
――本書の下敷きの一つともいえるユヴァル・ノア・ハラリ氏の『ホモ・デウス』には「ユースレス・クラス」という概念が出てきます。人類の中に「無用な階級」が出てくるという示唆ですが、片山さんは本書の中で分断について書かれています。これはコンピューターの発展についていけなくなった人たちがそのユースレスに転落するということなのでしょうか?片山:そう考えることはできるでしょう。アメリカだとウォルマートで買い物をして、肥満化した人たち。ただ、もしユースレス・クラスが地球規模で出現しても、そういう人たちを肥満化させる体力は地球にはないはずです。
では、地球規模で生まれたユースレス・クラスはどう生きていくのかということですが、僕は映画の『マトリックス』しかないんじゃないか、と。仮死状態になり、バーチャルな世界で幸せになってもらう。