決死の作戦と兄弟愛!天下一の強弓・源為朝が唯一倒せなかった大庭景義の武勇伝【下】 (3/5ページ)

Japaaan

宴会に武勇語りはつきもの(イメージ)

居並ぶ御家人たちを前に得意満面で往時の武勇を語る平太の脳裏には、三郎の面影が浮かんでいたことでしょう。

【回想ここから】

「……兄上、もう少しで下野殿(源義朝)が陣所にございますれば、しっかりなされませ……」

為朝との死闘を終えて、白河殿より脱出した三郎は、まず安全なところで平太の着ていた鎧を脱がせ、「兄上の鎧は、我が鎧ともども先祖代々より受け継がれし家宝であるから」と自分の鎧に重ねて着こみます。

それだけでも重いのに、「兄上を見捨てることなど出来ないから」と平太の肩を担ぎ上げて、陣中までえっちらおっちら連れ帰り、味方に平太の身柄と鎧を預けて自分は戦線に復帰、さらに武功を重ねたのでした。

……そして保元の乱より後、右足が不自由で歩行もままならなくなった平太は大庭の家督を三郎に譲って隠居、その移り住んだ地名から懐島(ふところじま)平太と呼ばれていました。

それから二十数年間にわたり、悠々自適の道楽暮らしを送っていた平太ですが、治承四1180年8月、頼朝公の挙兵を前に三郎と決別して頼朝公に味方します。

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