決死の作戦と兄弟愛!天下一の強弓・源為朝が唯一倒せなかった大庭景義の武勇伝【下】 (4/5ページ)
そして同年10月26日、頼朝公の命によって平太自ら三郎を斬首する運命を辿ったのでした。
【回想ここまで】「……この故実を存ぜずば、たちまちに命を失ふべきか。勇士はただ騎馬に達すべき事なり。壯士等耳底(じてい)に留むべし。老翁の説、嘲弄(ちょうろう。バカにすること)するなかれと云々……」
※『吾妻鏡』建久二1191年8月1日条。
『吾妻鏡』の記録によれば、その日は一日じゅう雨がやまなかったそうですが、もしかしたら命がけで自分を救ってくれた三郎を我が手で斬らねばならなかった平太が、心の中で流した涙だったのかも知れません。
三郎の亡き後、再び大庭の家督に返り咲いた平太は、頼朝公のブレーンとして大いに活躍したのですが、それはまた別の話。
エピローグ余談ながら、平太は二十数年の隠居暮らしに退屈していたようで、近隣の地元民を集めて宴会を開いたり、歌舞音曲(かぶおんぎょく)などの芸能に興じたりしたと伝えられています。