江戸時代、遊女の最期は寺に投げ込まれていた?苦界に身を落とした遊女たちが眠る浄閑寺とは (1/3ページ)

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江戸時代、遊女の最期は寺に投げ込まれていた?苦界に身を落とした遊女たちが眠る浄閑寺とは

江戸時代の遊女は、平均寿命が22歳程度だったといわれています。性病や過酷な環境での生活が、遊女たちの寿命を奪っていたのでしょう。

そんな遊女たちは、亡くなればお寺に投げ込まれていたというのです。

遊女が投げ込こまれていた「浄閑寺」

吉原遊郭は最初、江戸市中にありましたが、1656年・明暦2年に移転を命じられて、翌年に現在の浅草日本堤に移転することになりました。

前の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」と区別しています。

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この新吉原の近くにあった浄閑寺が、投げ込まれていたというお寺です。浄閑寺が創建されたのは1655年、明暦元年のこと。吉原が移転してくる約2年前ですね。将軍は4代目の徳川家綱なので、江戸幕府も落ち着いてきたころでしょう。

新吉原江戸町 松葉屋瀬や満 いろか ゆかり

この浄閑寺に遊女が投げ込まれるようになったのは、1855年・安政2年に起こった「安政江戸地震」からです。地震はマグニチュード7クラス、死者数が1万人ほどではないかといわれています。

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