美しさの本質は「無理がない」ということ (1/2ページ)
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今夜はちょっと、恋の話をしよう
「美しい恋愛」という、なにやらむずかしそうなガイネンを考えたことのない人であっても、女子として(女性として)いつまでも美しくありたいと思っている人は大勢いるでしょう。
今回は、美しさの本質について、一緒に考えてみたいと思います。なお、ルックスの美醜をここで問題にしても、おそらくみなさんじぶんの顔のことを主観的に気にしだして、話の収集がつかなくなる恐れがあるので、あるいはルックスにおける美をここで定義してしまったら、そこから漏れる人からクレームが来るかもしれないので(!)、ここでは主に内面の美しさについて見ていきたいと思います。
むかしは「うつくしい」という言葉に「徳」という字を当てていたそうです。「徳」という字を当てるのも、ひらがなに漢字を当てるのも、ともに中国から来たガイネンらしいいのですが、ようするに昔の人は、内面がうつくしいということを(人徳があるとか、そういうことを)「うつくしい」と呼んでいたのだそうです。
今の時代でも、徳のある人は内面がきれい、つまり美しいと見るのが一般的でしょうから、今回はここから話を始めたいと思います。さて徳がある人とはどういう人のことか?グーグル先生に聞くと、いくつも教えてくれます。
たとえば「誰に対してもやさしく穏やかに接する」人のことを、徳のある人と定義している人がいます。あるいは「自己犠牲の精神があり、人のことを優先できる」人のことだそうです。
これは「そうとも言える」というかんじで、100%自己犠牲の精神にあふれている人って、いるんですかね?「一緒にいると安心していられる人」「精神的に頼れる人」というのは、さもありなんというかんじがしますよね。
無理をしていない人、というのはいかがでしょう。徳がある人は無理をしていない。つまりたとえば無理をしてまで相手になにかをしてあげようとしない人。