趣味を持ってもモテない人はモテない、重要なのはそこではないから
- タグ:
-
今夜はちょっと、恋の話をしよう
日常的に出会いがない人に対して、趣味を持ちましょうと言われます。趣味の場で、もしかしたら出会いが生まれるかもしれない。あるいは趣味をとおして自分が輝くかもしれない、という理由のようです。
がしかし、趣味をもつことで恋人ができる人と、そうはならない人に、ハッキリ分かれてしまうというのもまた、事実。
趣味って、ないよりあったほうがいいとも言われています。たとえば初対面の人と趣味の話をすることで、相手との会話に困らないというメリットを考えれば、趣味はないよりあったほうがいいものです。
運よく、相手がその趣味に興味をもってくれたら、相手が会話に食いついてきて、それなりに話が盛り上がって、それこそ恋に繋がるかもしれない。
でも不思議なことに、自分の趣味の話を非常に楽しそうに豊かに語る人もいれば、しれっと語って、あとの話が続かない人もいます。
「趣味はなに?」「サッカー観戦です」「どこのサッカーチームが好きなの?」「とくにどこのチームを応援しているわけではないです」「・・・」こんな会話にしかならないのなら、趣味がないほうがマシかもしれない。
本当にサッカー観戦が好きな人は、たとえば応援のときのフェイスペイントはいかに洗い落とすのが大変な代物かとか、そもそもどこでフェイスペイントを買えばいいのか知らなかったなどのことを、おもしろおかしく語るものです。
趣味があるとかないとかというより、今自分がやっていることをどれだけ楽しんでいるか?というのが、本当はすごく重要です。究極にいいのは「趣味は1つもないけど、生きていることじたいが楽しい」というものでしょう。いくつ趣味をもっていようと、そしてそれが男子ウケする趣味であろうと、それを楽しそうにやっていないという態度が透けて見えると、人はたいてい「この子、なんでこの趣味をやっているのだろう」と感じます。
さらに男子ウケする趣味――たとえば料理教室に通っている――を、しれっと、さして好きではないように言われたのでは「イヤイヤながら花嫁修業(死語か?)のために通っているのか?」とか、もっとひどいのになると「男ウケを狙ってクッキングスクールに通っているのか?」なんてことを思う男子だっています。
この前テレビを見ていたら、「趣味は旦那です」と豪語している女性がいました。とくにこれといった趣味はない、でも旦那のめんどうをみるのが好き、旦那のことを考えるのが好き。これを公共の電波で言えることが非常にかっこよく感じたので、かなり印象に残っています。そう、他人からたとえ「この子、ちょっとヘンかも」と思われようと、自分が好きなものをハッキリ好きと言える、というのがかっこいいし、そういう生き方そのものを「趣味に生きている」とか「遊ぶように生きている(つまり、自分がやっていることを楽しんでいる)」と言うのではないかと思います。
趣味があろうとなかろうと、自分が今やっていることに楽しさを見出せるかどうか。これがその人を輝かせるし、その輝きこそをわたしたちは、人を惹きつける魅力と呼ぶのではないかと思います。(ひとみしょう/文筆家)
【今夜はちょっと、恋の話をしよう】(ハウコレ編集部)