心霊番組が激減したのは非科学だから?非科学を追い出しすぎることの弊害 (3/3ページ)

心に残る家族葬



■幽霊は怖い存在だけではない

我々は幽霊がいなくては生きていけないのではないかと思う。大切な人を失ったとき、我々は幽霊でもいいから会いたいと思うようになる。例えば死者が集まるという恐山を訪れる人は何を求めていくのか。死んだあの人に会いたいとは、具体的には幽霊に会うということだ。子供の頃、あれほど怖かった幽霊に会うために行くのである。

仏教は本来理性的な哲学で、死後の霊の存在を認めない。キリスト教では「霊」は存在するが、うらめしやの「幽霊」は否定されている。人間の霊は死後、最後の審判に備えて眠りについているとされるからだ。近年の「スピリチュアル」的な教えは、「霊性」「宇宙意識」など、わかったようなわからないよう曖昧な概念を説く。

しかし我々が会いたいのは、そのような高尚な宗教的な教え、存在ではなく、語りかけてくれる具体的な「人」としての、つまりは幽霊に他ならない。会えなくても、あの世でもどこでも、どこかにいると思える。そしていつか自分も会える。そう思うことで救われる。その場合のイメージとは生前そのままのお互いの姿だろう。つまりは幽霊なのである。「あの人」への追慕の形として、幽霊はいつも身近に存在するのだ。

■幽霊の行方

核家族化などにより、子供たちは葬儀や法事に出る機会がなくなり、幽霊もまた迷信として興味本位の都市伝説くらいにしか居場所がなくなりつつある。彼らが成長し、大切な人を見送り、命はリセットできないこと心底感じいった時、幽霊は身近にいてくれるだろうか。

■参考資料

■長崎県教育庁学校教育課「心を育てる道徳教材集」(2006)
■寺田寅彦「化け物の進化」寺田寅彦随筆集 第2巻(1964)岩波書店

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