3ヶ月ものサバイバル生活!江戸時代のみかん商人・長右衛門の小笠原漂流記【一】 (2/2ページ)

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あるいは、こうしたタイムラグを見越してまだみかんが熟していない内に収穫・出荷して、美味しくなったタイミングを見計らって江戸に持ち込むのでしょうか。

※調べてみたところ、収穫後に貯蔵することで完熟させ、甘さを増して果肉をやわらかくする技術を追熟(ついじゅく)と言って、みかん等の柑橘類ではよく用いるそうです。しかし1か月半は、少し長すぎる気もしますが、どうなんでしょうか。

……ともあれ年も明けて寛文十1670年1月5日、ようやく船は安乗浦を出航、江戸を目指したのですが……。

遠州灘で遭難・漂流の日々が始まる

悲劇は航海2日目の、寛文十1670年1月6日に起こりました。

船が遠州灘(現:静岡県西部の沖合)に差し掛かった時、にわかに暴風雨が吹き荒れて遭難。帆は破れて舵も壊れ、漂流を余儀なくされてしまいます。

「……どこか陸(おか)が見つかりゃアえぇが……」

こうなっては運を天に祈るよりなく、潮や波風に流されるまま、残された食糧を細々と食いつなぐ日々を過ごした長右衛門たちですが、それも10日で尽きてしまいました。

一体どうなってしまうのか

「もう、食いモンがねぇ……」

「……仕方ねぇ。みんな、積み荷のみかんを出してくれ!」

事ここに至っては、商いがどうとか言っている場合ではありません。背に腹は代えられぬと長右衛門は積み荷のみかんをすべてみんなに分け与え、釣った魚を食べながら、飢えと渇きをしのぎました。彼らにとって、この時のみかんの味は生涯忘れられないものとなったことでしょう。

しかし、売るほど積み込んだみかんだっていつかは尽きるし、魚だって漂流する海域や天候によって、いつもコンスタンスに釣れる訳ではありません。

いつ終わるとも知れない日々の不安が、彼らの航路に暗雲のごとく垂れ込めるのでした。

【次回に続く】

※参考文献:

田中弘之『幕末の小笠原―欧米の捕鯨船で栄えた緑の島』中公新書、1997年10月

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