田中角栄「怒涛の戦後史」(11)内閣総理大臣・池田勇人(上) (2/3ページ)

週刊実話



 田中は政界に出て間もない昭和25年から28年のたった4年あまりの間に、多くの「議員立法」を成立させており、その政治的能力の高さ、発想、馬力を買ったのだった。田中は「道路三法」をはじめ、「国土総合開発法」「公営住宅法」「河川法改正法」「電源開発促進法」等々、戦後復興に不可欠な法律を次から次へと成立させ、その議員立法の数は生涯じつに33本にも達したのだった。

 小泉純一郎元首相の秘書を長く務めた飯島勲(現・内閣参与)などは、「この国の礎は田中角栄がすべてつくった」とまで公言しているくらいである。

 ちなみに「議員立法」は、政府すなわち官僚が立案して国会に提出する「内閣法」と異なり、議員自らが法律を企画、立案、政党あるいは各省庁に根回しして草案をつくり上げ、そのうえで国会答弁も一人でやらねば成立しないという、政治家としてのあらゆる能力を備えていなければつくれない法律である。今日でも、何十年議員生活をやっていても、一つの議員立法さえ成立させることなく政界を去っていく者は少なくないのである。

 かくて、田中の能力を買い政調会長のポストに就けた池田だったが、なるほど田中はその期待に応えてみせた。

★「アレはただ者じゃない」

 当時、政府と自民党にとっての懸案に、最大の「圧力団体」だった日本医師会との間で起きた、医療費の診療報酬をめぐっての綱引きがあった。一歩も引かぬ医師会に対し、それまでの厚生大臣、自民党の幹事長、政調会長らは、なんら解決の糸口を見いだせないまま引き下がっていた。

 その最大のハードルは、「大ボス」「ケンカ太郎」の名をほしいままにし、医師会内外に絶対的な影響力を保持していた武見太郎会長(現・参院議員の武見敬三の父)であった。

 政調会長就任から1週間目、早や田中は持ち前の行動力を発揮し、案を持って医師会館に“鎮座”する武見会長を訪れ、談判に臨んだのだった。しかし、医師会側は「そんな案では乗れぬ」と“保険医総辞退”という切り札までチラつかせるといった具合で、まったくラチがあかなかった。
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