諸行無常の響きあり…裏切りに絶望した悲劇の貴公子・平清経の生涯(中)
前回のあらすじ
眉目秀麗・文武両道で知られた平家一門の貴公子・平清経(たいらの きよつね)は、初陣以来、反平家勢力との戦いに赫々たる武勲を立てました。
しかし平家一門の権勢はすでに衰えつつあり、ついには都落ちを余儀なくされます。
京の都を逃げ出した平家一門は、リベンジを期するため、かつて故・平清盛が遷都を強行した福原(現:兵庫県神戸市)の地を目指すのですが……
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諸行無常の響きあり…裏切りに絶望した悲劇の貴公子・平清経の生涯(上) 荒れ果てた「平清盛・夢の都」福原を焼き払うさて、都落ちした清経ら平家一門は福原まで落ち延びて来ますが、永らく放置されていたかつての都は、見る影もなく荒れ果てていました。
かつて平清盛が海洋国家として宋(そう。中国の古代王朝)と盛んに交易しようと強行した福原への遷都は、1年も経たずに断念。せっかく築き上げた都は放棄されていたのです。
「これから源氏の侵攻に備えねばならない状況で、この福原を復興させる余力はない」
仕方なく平家一門は残存している建造物などが敵に利用されないよう、福原を火の海と焼き払ったのでした。
「おぉ……相国(しょうこく。清盛の称号)様の夢見られた都が燃える……何もかもが灰燼に帰する……」
かつて大海原に大志を馳せ、子供のように眼を輝かせていた生前の清盛を知る者たちは、焼け落ちる「夢の都」に涙したことでしょう。
福原を失った無念さを噛み締め、源氏に対してリベンジの闘志を燃やす者が多数いた一方、清経は世の無常さを悟ってしまったようで、この頃から平家一門の前途を悲観するようになります。
かつての家人に裏切られ、大宰府からも追われてしまうさて、福原の旧都を焼き払った平家一門は瀬戸内海を更に西へ、反撃の足掛かりにしようと九州の大宰府(現:福岡県太宰府市)を目指します。
しかし、いざ大宰府に到着すると、豊後国大野郡緒方荘(現:大分県豊後大野市緒方)の住人・緒方三郎惟義(おがたの さぶろうこれよし)が謀叛を起こして大宰府に攻め寄せました。
この惟義、元は重盛に仕えていた者であり、平家一門の形勢不利と見て裏切ったのですが、余力に乏しくできれば戦いたくない平家一門は、どうにか惟義を説得しようと重盛の次男で清経の異母兄・平新三位中将資盛(たいらの しんざんみのちゅうじょう すけもり)を派遣しました。
「そなたは我が父・重盛に仕え、その御恩に与(あずか)っておったではないか……」
しかし交渉はあっけなく決裂。あわや資盛は捕らえられそうになりますが、惟義は「今はこんな小者一人捕らえたところで仕方がない。逃がしてやるから疾々(とっと)と帰れ。後でまとめて討ち滅ぼしてやるから(笑)」と解放。資盛は這々(ほうほう)の体で大宰府に逃げ帰りました。
そして惟義は次男の野尻二郎惟村(のじりの じろうこれむら。肥後国阿蘇郡野尻の住人)を大宰府に派遣。平家一門に対して「平家は我らが代々の主君ですから、本来なら兜を脱いで弓の弦を外して降参すべきなのですが、なにぶん後白河法皇のご命令なので、平家一門を九国(くこく。九州)から追い出さねばならんのです」と伝えます。
それを聞いた平大納言時忠(たいらの だいなごんときただ。清盛の義弟)は「畏れ多くも我らの奉戴せしは(※)天孫四十九世の正統、仁王(にんのう=人皇)八十一代の帝=安徳天皇におわすのだぞ。そもそもそなたらは、亡き清盛様から受けたご恩を忘れたか……云々」などと憤ったものの、惟村は馬耳東風。
(※)天孫とは天照大御神(アマテラスオオミカミ)の嫡孫・邇邇芸命(ニニギノミコト)を指し、その世代からカウントして49世代目の子孫に当たる第81代の人皇=人間の天皇陛下を意味しています。
この返答を聞いた惟義は「まったく、世は移り変わっていると言うのに、いつまでも昔のことを恩着せがましく……仕方あるまい。力づくで追い払うまでぞ」と、三万余騎の軍勢を率いて大宰府に攻め込みました。
これに対して平家一門は、家人の源大夫判官季定(げんだゆうのほうがん すえさだ)と摂津判官守澄(せっつのほうがん もりずみ)に兵三千騎を与えて迎え撃たせますが、多勢に無勢で焼け石に水。
また、平家一門の危機を知って馳せ参じた山鹿兵藤次秀遠(やまがの ひょうとうじひでとお)ら数千騎の援軍も空しく散々に蹴散らされ、海上をさすらう「根無し草」生活を余儀なくされたのでした。
清経たち平家一門は、これからどうなってしまうのでしょうか。
【続く】
※参考文献:『ビジュアル源平1000人』世界文化社、2011年11月1日、第1刷
梶原正昭ら校注『平家物語 下 新日本古典文学大系45』岩波書店、1993年10月27日、第1刷
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