意外と知らない? 炭酸の「ウィルキンソン」は正真正銘の国産ブランドだった (3/4ページ)
場所は紅葉谷工場の裏手にあり、畳とメイドさん以外は外国製のもので設えており、高水準な様式ホテルであったようです」

ウィルキンソン氏経営の「タンサン・ホテル」
当時の取引先・販路はどのようなものだったのだろうか。シンガポールを拠点に東南アジア諸国に販売していたようだが...。
「シンガポール、フィリピン、中国、香港などであったようです。ロシアも一時期大きな販路であったと書かれている資料(「日本清涼飲料史」エセル・プライス寄稿「天然水の始まり」)もあります」
ウィルキンソン氏は販路開拓のために、海外各地に精力的に出かけていたようだ。日露戦争が勃発し、ロシアの取引先から代金の回収ができなくなり苦労したと、前述の「天然水の始まり」には書かれている。結局、ロシアとの取引は中止せざるを得なかったようだ。
ウィルキンソン氏の妻は日本人だった
ウィルキンソン氏の家族。前列左端が孫のハーバート、その左上がエセル、エセルの右上が中川くま(ウィルキンソン氏夫人)。背景は、タンサンホテル。
1923年、ウィルキンソン氏が亡くなった後、事業を継承した長女エセル・プライスとはどのような人だったのだろうか。
「ウィルキンソン氏の奥さんは『中川くま』という京都生まれの方です。お子さんは二人いて、そのうちの一人がエセル・グレース・ウィルキンソン(後のエセル・プライス)、日本名は『中川しつ』だったようです。
エセルは1889年(明治23年)神戸で生まれ、1911年(明治44年)、ウィルキンソン氏の会社の秘書であったジョセフ・プライスと結婚しました。結婚によりエセル・プライスと改名、イギリス籍を取得しました。