約5300年前のミイラ、エッツィ(アイスマン)は最後の日々をどう過ごしたのか?コケ類の分析で新事実が判明 (2/6ページ)

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 エッツィとともに氷に閉ざされていたコケ類の多くは、遺体のあった標高3210メートルの高所でも成長するものであることが知られている。

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エッツィが発見された場所にたつ記念碑
image credit:Wikimedia Commons

・絶命した場所までエッツィはどんなルートを辿ったのか?

 そこで研究者の間では長いこと議論になっていたのが、エッツィが登っていたのは山の北と南、どちら側だったのかということだ。

 ディクソン氏は、集めた証拠はエッツィがシュナルスタールの谷近くから登り始めたことを示していると主張する。

 例えばエッツィの消化器官から微小なヒラゴケ科のコケも見つかったが、このコケはエッツィの遺体が発見されたような高所では成長できない。

 このコケの分布と、遺体の近くで見つかったほかの低地に生息するコケを調べて、ディクソンはこれらのコケが見つかる可能性がもっとも高い場所は南側、シュナルスタールの谷だと断定した。

 ここは、エッツィが絶命した場所に続く登り口だ。

 つまりエッツィは最後の日々、標高600メートルから3210メートルまでかなり歩き回って登ったに違いない。
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