豊臣秀頼は二人いたんです!秀吉が公認した「もう一人の豊臣秀頼」ってどんな武将だったの?【三】 (6/6ページ)
共に轡(くつわ)を並べて戦える日を夢に見ていた長秀は、感慨も一入といったところでしょう。
……しかし、これが源五にとって最初で最後の戦となりました。
「源五……っ!」
果たして高遠城は攻略できましたが、敵もさるもの、盛信主従は決死の抗戦で武田の意地を見せつけて、織田軍にも少なからぬ犠牲を払わせしめます。
源五もその一人として、若い命を戦場に散らせたのでした。主君のために身命を賭するは武士の習いながら、やはり親として悲しまずにおれません。
こうした歴戦の武功によって武田家の滅亡後、長秀は信州の国人衆・坂西(ばんざい)氏より奪取した飯田城(現:長野県飯田市)を与えられ、晴れて一城の主となったのですが……。
【続く】
参考文献
谷口克広『尾張・織田一族』新人物往来社、2008年 谷口克広 監修『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、1995年 黒田基樹『羽柴を名乗った人々』角川選書、2016年日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan