プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ケンドー・カシン」ファンを煙に巻く制御不能の“悪魔仮面” (1/2ページ)

週刊実話

 日頃の言動は、いわゆるプロレス的なヒールの文脈から逸脱したものばかり。誰しもケンドー・カシンの正体を知っているだろうが、それでいて常にミステリアスな雰囲気と危うさがついて回る。まさに制御不能の存在だ。

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 今年8月、ケンドー・カシンこと石澤常光は、WWEパフォーマンスセンター(基礎トレーニングからリング上の演出までを学べるWWE式道場)のコーチに就任した。

 レスリング全日本学生選手権3連覇の実績を持ち、ルタ・リーブリなど格闘技術の習得にも熱心。メジャーからインディー、総合格闘技とさまざまな舞台で闘ってきた経歴からしても、コーチには適任と言えそうだ。しかし、その一方でこれまでのカシンのひねくれた言動からすると、「あのカシンがコーチ?」と疑問を抱く向きも多いだろう。
「昔から他のレスラーたちと感覚の異なるところがあって、新日本プロレスに入門して4年目の’96年、若手の登竜門であるヤングライオン杯で優勝した際には、賞金として渡された小切手風のパネルを折り、その半分を決勝で闘った永田裕志に渡しました。相手の健闘をたたえるパフォーマンスだとしても、栄誉として贈られたパネルを半分に千切るという行為自体が普通ではありません」(プロレスライター)

 欧州遠征でマスクマンとなり、’97年4月に凱旋帰国を果たすと、そうしたカシンの振る舞いがクローズアップされ始める。

 ’97年10月、新日ジュニアでは獣神サンダー・ライガー、エル・サムライ、カシンの覆面トリオと、金本浩二、高岩竜一、大谷晋二郎のトンガリ・コーンズによる抗争が繰り広げられた。その渦中で金本とシングル対決したカシンは、壮絶な喧嘩マッチの末に敗れると、自らマスクを脱ぎ捨てて金本に襲いかかった。

 興奮状態のまま控室に戻ったカシンは、「俺は別にいつ辞めたっていいしね。全然プロレス界に必要な人間じゃないし、潰すか潰されるか、それだけだ」とコメント。隙あらば味方にさえ牙をむこうとするカシンの姿勢には、覆面軍リーダー格のライガーも「あいつは制御不能」とサジを投げていた。

 空中殺法に関節技で対抗していくスタイルからしても、カシンは予定調和的だったジュニア戦線に紛れ込んだ異分子であった。

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