絵画のような音楽。『いかれたBaby』に包み込まれるやさしい夜 (2/4ページ)
そのハズレは単に「おもしろくなかったね」という種類のものでなく、感覚が過敏な私は、著名なDJが集まる豪華なライブに行けば不慣れな大音量で頭痛になり、ライゾマのバッキバキのインスタレーションを観れば激しく点滅する光で眩暈と吐き気をもよおし、革命アイドル暴走ちゃんの公演では劇場内でわかめと水をばらまく演出で放心状態になり、映画『そこのみにて光輝く』を観たときはフラッシュバックを起こし、白目を剥いてけいれんした。
クリエイターの方は悪くないし、彼の紹介してくれるものはどれもこれも面白いのだけれど、全身で拒否してしまう。
そのたびに彼は「何か違うデート考えるね」と申し訳なさそうにしていたけれど、こちらのほうが申し訳なかった。
それに、諦めたくなかった。彼の好きなものを知り、彼の好きなものを好きになりたかった。恋愛の醍醐味はその人の好きなものに触れ、思想にダイブしてもみくちゃになって変容していくことだと思っている。だからできるだけ、彼の世界を泳ぎたかった。
■そのラブソングはまるで“動く絵画”だった
そういうわけで、その日も「今日は卒倒しないだろうか」と半ば緊張しながら水戸美術館に向かっていた。
いつものように彼のバカ話を聞き、お腹を抱えてカラカラ笑っていると、目の前にパーンと映像が映った。何が起きたのだろうと一瞬目を疑ったけれど、どうやらそれは“耳から入った映像”のようだった。
耳から脳に響き、視神経を通って私の視界に投影された映像にすっかり気を取られた。そして、彼のとっておきの話がピークを迎えそうな折、我慢できずに話を遮った。
「ねぇ、ごめん。これ何?」
「えっ、この曲好き?」
数えるほどしか彼のお気に入りを受け入れられない私が興味を示したのを見て、彼はとてもうれしそうにしていた。
その曲は、Fishmansの『いかれたBaby』だった。
幻想的な空気をまとうリズミカルな前奏から始まるこの曲は、まるで動く絵画のように、私の視界の表面を流れていった。“絵画”だから“見る”ことに夢中で、歌詞はよく聴かなかった。