織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【上】 (2/4ページ)
ごくざっくりとした美濃周辺の勢力図。強豪たちに囲まれている遠山氏。
当時、遠山氏は西美濃の斎藤(さいとう)氏と、東は甲信地方の武田(たけだ)氏との板挟みとなっており、北上(斎藤氏を攻略、美濃の制圧)のパートナーを求める信長と、美濃における勢力基盤を確立し、武田氏の影響下(※)から脱したい景任との利害関係が一致。
(※)景任は父・遠山景前(かげまえ)の没後、分家の反対を抑えて家督を継承する際、武田晴信(はるのぶ。後の信玄)の後ろ盾を得ており、頭が上がらない状態でした。
典型的な政略結婚で、時期は景任が家督を継いだ直後のまだ不安定な永禄年間(1558~1570年)初期、艶は20代半ばごろと推測されます。
遠山家は鎌倉時代から続く名門ですが、数百年の歳月を経た戦国乱世にあってはそんな権威など既に形骸化しています。まして分家の乱立を制御できず、政情の不安定な東美濃へ嫁いでいく艶は、さぞかし不安だったことでしょう。