織田信長に殺された悲劇の女城主「おつやの方」がたどった数奇な運命【上】 (1/4ページ)
大河ドラマ「おんな城主 直虎」でも知られたように、戦国時代は男性だけでなく女性も時として家督を継ぎ、一族の舵取りをしなければならない場面が少なくありませんでした。
貞女は二夫にまみえず!陰謀から御家を守り抜いた戦国時代の女城主・清心尼(一)今回はそんな一人である、美濃国岩村城(現:岐阜県恵那市岩村町)の女城主・艶(つや)のエピソードを紹介したいと思います。
鎌倉以来の名門・遠山景任に嫁ぐ艶は尾張国(現:愛知県西部)の戦国武将・織田信定(おだ のぶさだ)の娘として誕生。後に天下布武を号令する織田信長(のぶなが)の叔母に当たります。人からは「おつやの方」などと呼ばれたそうです。
生年については不明ですが、信定が天文七1538年に亡くなっていること、艶は兄弟姉妹の中でも末っ子に近いことから最晩年の子、天文元1532年~五1536年ごろの生まれではないかと考えられます。
※その場合、甥の信長(天文三1534年生まれ)とほぼ同年代となります。
艶は兄・信秀の死後に織田の家督を継承した甥・信長の命により、東美濃(現:岐阜県南東部)の岩村城主・遠山景任(とおやま かげとう)に嫁ぎました。
