ベトナムで戦死から34年後に名誉勲章。米空軍パラレスキュー隊員を描いた『The Last Full Measure』 (1/2ページ)

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ベトナムで戦死から34年後に名誉勲章。米空軍パラレスキュー隊員を描いた『The Last Full Measure』

ベトナム戦争での戦死から34年後に名誉勲章を受勲した米空軍第38救助隊(38th Rescue Squadron)所属のパラレスキュー隊員ウィリアム・H・ピッツェンバーガー氏(William H. Pitsenbarger)を描いた映画『The Last Full Measure』の海外版トレーラーが、映画配給会社ロードサイド・アトラクションズ(Roadside Attractions)のYoutubeチャンネルで公開された。

ハスキーヘリコプターの前でM16を手にしたピッツェンバーガー上等兵(1965年頃)
Photo from National Museum of the U.S. Air Force
ピッツェンバーガー氏は、高校時代に米陸軍特殊部隊:グリーンベレーを目指していたが両親に反対され、高校卒業後に米空軍へ入隊した。基礎訓練終了後、パラレスキュー隊員の資格を取得し、米カリフォルニア州ハミルトン空軍基地の救難隊に所属となった。

1965年にベトナムのビエンホア空軍基地へ派遣され、カマンH-43「ハスキー」ヘリコプターに搭乗し救難活動を行った。1966年4月11日、サイゴン近郊で交戦中の第1歩兵師団の部隊から「6名以上の負傷者あり」との救助要請を受け、2機のヘリで現場へと向かった。ベトナムに派遣されてから300以上の救難活動を経験していたピッツェンバーガー氏は、戦闘中の現場へ上空からホイスト降下し、負傷者の引き上げを行った。被弾しながらも飛行を続けた2機のヘリは、負傷者を乗せて一旦基地へと帰還した。ヘリが戻るまで現場に残ることにしたピッツェンバーガー氏は、救護を行いながら戦闘にも参加していたが、敵スナイパーの弾丸によって帰らぬ人となった。
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