神社では「自分のための願掛け」はNG! 「祈り方の先生」に聞く参拝の本質とは? (3/4ページ)
■自分の願いを叶えたいのは「不浄」。本当に願いを叶える祈り方とは? ――本書を読ませていただくと、私たち一般人が思っていることと、考え方の面で大きく異なりますね。
北川:はい、そうなんです。「世のため人のため」という言葉は神道由来ですが、これは「公のため」「みんなのため」という意味です。世界平和であったり、日本国民の安寧であったり、そういう公のための願いを持つことこそが、神職、日本の神社の伝統です。それが今言った「祈り」であり、これを世の中の人に分かってほしいという気持ちがあるんです。
例えば成人式の日の街頭インタビューで、神社の参拝帰りの新成人が「将来資格をとってこういう人になりたい」とか「大企業に就職したい」、「お金持ちになりたい」といった個人的な願いばかりを口にします。でも、自分よりも上の世代の方々は「地域のために貢献したい」「両親に恩返しがしたい」という自分以外のことを想う願いを持っていたはずなんです。これが、「世のため人のため」の清浄な祈りであり、それを祈る場所が神社なんですね。
もう一つ言うと、自分は今、不幸だから他人のことまで祈ることができないという人もいますが、そういう人にはぜひ本書を読んでほしいです。自分の願いを清浄な祈りに変えるという画期的な方法があります。これを「祈りの神髄」と表現していますが、これは「みんなのために祈る」ということなんです。
例えば「結婚できますように」という祈りは、あくまで個人的な願望ですよね。これを変換して「私が結婚をして両親が喜びますように」とすると、自分のための祈りではなく、両親のための祈りになります。
誰もが自分の願い事を叶えたいと思い、神社に参拝するでしょう。でも、神社では自分の願いを祈ることは「不浄」とされていて、清浄な状態で祈るためには、自分の願いを「みんなのため」に変換することが必要なんです。
北川:はい、「みんなのため」に変換してみてほしいです。
――今、おっしゃったように自分のための願いが「不浄」であるというのは、本を読ませて最も驚いた部分でした。