世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第347回 道徳的に正しい経済 (2/3ページ)

週刊実話



 人間が生きていく上で、社会の秩序を維持するための思考の枠組み、規範の一種が宗教であり、道徳だ。七つの大罪が典型だが、「欲してはいけないこと」「欲して構わないこと」をイデオロギーとして規定し、社会の秩序を維持するわけである。

 人間が社会的な生命体である以上、社会の秩序を維持するために、何らかの「決まり」は必須だ。代表的な「決まり」が法律になるが、法律に頼らずとも、人々の思考や行動を制御できるのが宗教であり、道徳である。

 その人間の思考の枠組みである宗教や道徳と「緊縮財政」が直接的に結びついているとなると、緊縮財政の転換が困難な理由が分かってくる。

「政府が貨幣を発行し、国民の所得(利益)となるように支出する」と言われると、「道徳的」に拒否、反発の思考メカニズムが働いてしまう人が少なくないのだ。特に、「正義感」が強ければ強いほど、「そんな国民を甘やかすことはしてはいけない」と思ってしまうのだろう。

 皮肉なことに、国家や社会の「決まり」を嫌い、共同体を破壊し、人間を個別化する「グローバリズム」と、緊縮財政の相性が抜群によい。グローバリストは、あたかも普遍的な善であるかのごとく、緊縮を主張する。結果、公共サービスが切り売りされ、グローバリストが儲かる。

 また、グローバリズムの思想的バックボーンである主流派経済学の「経済の管理人」は、もちろん「市場」だが、これをアダム・スミスは『国富論』で「見えざる手」と表現した。

 この「見えざる手」に、いつの間にか「神の見えざる手」と、「神」という言葉が入ってしまった。神となると、露骨に宗教的である。

 何を言いたいのかといえば、緊縮財政や規制緩和、さらには自由貿易という、特定の誰か(つまりは「自分」)の利益最大化を目指すグローバリストは、人々の「宗教心」や「道徳心」に訴え、目的を達成しようとするという話である。偽善極まりない。

「市場は神の見えざる手が動かしているため、歪めてはならない」

 と言われると、普通の人は納得するのだろうが、結果的に多くの国民が貧困化し、特定の誰かだけが儲かる。何しろ、政府の規制等のルールがない状況で、国民が「自由」に競争すれば、確実に「勝ち組が勝つ」のだ。
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