身代わり伝説は本当か?今も眠る源義経の首級と胴体の「謎」を紹介【下】 (2/6ページ)
現:宮城県栗原市栗駒沼倉)と呼ばれる場所に埋葬されましたが、義経公の自害現場である奥州平泉の高館(現:岩手県西磐井郡平泉町高館)から10数kmも離れた場所にわざわざ運んだ理由は何なのでしょうか……?
「義経公」の胴体を運んだのは「本当の兄」?平安時代末期、判官森を含む一帯は沼倉小次郎高次(ぬまくらの こじろうたかつぐ)という奥州藤原氏の家人(けにん)が治めていました。
彼には杉目太郎行信(すぎのめの たろうゆきのぶ)という弟が義経公に仕えており、義経公と年齢が近い上に顔立ちや背格好がよく似ていたそうです。
俗説によれば、頼朝公に追われて奥州藤原氏に身を寄せた義経公を守るため、その影武者を買って出て高館で自害し、義経公本人は奥州よりさらに北の蝦夷地(現:北海道)へ脱出したとも言われています。