身代わり伝説は本当か?今も眠る源義経の首級と胴体の「謎」を紹介【下】 (5/6ページ)

Japaaan

※義経公は戦上手、軍略の天才と称えられた一方で「マナー違反の卑怯な手段で勝っただけ」「みんなの手柄を独り占めしようとした」「頼朝公の弟であることを鼻にかける言動が目立った」など、御家人の間ではあまり評判がよくなかったそうです。

「……あやつは無事、逃げおおせたかのう……」弟の身を案じる頼朝公(イメージ)。

しかし頼朝公は内心「弟(義経公)を逃がしたい=生かしておきたいけど(義経公が御家人たちから憎まれていることもあるし)立場上そうは言えない」ことから身代わりを立てさせ、ただでさえ似ているその首級を判別できなくさせ、「死んだこと」にしたかったのかも知れません。

エピローグ

その後、「死んだこと」になった義経公がどうなったか……信頼できる史料は残されていませんが、北海道に渡ってアイヌの少女と恋に落ちたり、大活躍してアイヌの神と同一視されたり、はたまた大陸まで足をのばしてモンゴルの覇者チンギス・ハーンになったor成り代わったり……等々、様々な俗説が生み出されました。

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