歴代総理の胆力「石橋湛山」(1)「高潔の士」とも謳われた石橋 (2/2ページ)

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 結果、第1回投票では岸223票、石橋151票、石井137票と岸が1位となったものの過半数に届かず、2位の石橋との決選投票へもつれ込んだ。ここで、石橋陣営は石井陣営と「2・3位連合」を組んだ。この「2・3位連合」の票を合計すれば遥かに岸の票を上回るハズだったが、決選投票までのわずかな時間に岸陣営のカネ、ポストを併せた石橋、石井両派閥の切り崩し工作が行われていたことが、開票して改めてわかっている。

 それでも、石橋の側近・石田博英(元労相)らによる投票数のインチキ防止策などの「ウルトラC」が功を奏した形で、わずか7票差ながら石橋が逃げ切った。しかし、この総裁選での自民党内のシコリは尾を引き、石橋内閣の組閣からして、難産そのものだった。

 岸陣営は石橋の申し出る入閣要請をことごとく蹴り、ためにとりあえず石橋総理一人だけの任命式を行い、総裁選からじつに10日後、ようやく組閣が完了するといった塩梅だった。

 総理となった石橋はまず、「私は国民の皆さんのご機嫌を窺うような政治はやらない」と“宣言”、「日中友好促進」と「1千億円減税」という当時としては清新な2大政策を掲げた。しかし、慣れぬ権謀術策に振り回されての心身ともに疲労困憊、間もなく病に倒れたのだった。

■石橋湛山の略歴

明治17(1884)年9月25日、東京・麻布で日蓮宗僧侶の長男として生まれる。11歳で僧籍。早稲田大学哲学科を首席卒業。東洋経済新報社社長。昭和31(1956)年、自民党総裁。総理就任時72歳。昭和48(1973)年4月25日、脳梗塞のため死去。享年88。

総理大臣歴:第55代1956年12月23日~1957年2月25日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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