辻村深月 30代で「死」をテーマにした時に周囲から言われたこと (3/3ページ)

新刊JP


「死」や「喪失」を描こうという大きなテーマが先にあったわけではなく、「再会」の設定の方が念頭にあって、「ツナグ」という小説の基本的な部分ができていきました。

表紙

――とはいえ書くとなったら「死」も「喪失」も重いキーワードではあります。

辻村:『ツナグ』を書き始めた当時、私は30代に入ったばかりだったのですが、「次は死について書く」と言うと、「あなたの年齢でそのテーマはまだ早いんじゃないか」とか「あなたの歳では喪失の経験は少ないだろうに」と言われたことをよく覚えています。

確かにその頃は、私自身が「ツナグ」に頼んでまで会いたいと思える人の心当たりはまったくありませんでしたが、だからこそ「死」や「喪失」についてフラットな考えで書けるかもしれないと思ったんです。死や喪失について、経験に引き寄せられることなく俯瞰できる今じゃないと書けないことが逆にあるのではないかと、思い切って書き始めました。

――実際に書いてみた感触はいかがでしたか?

辻村:先ほどの話にもありましたが、こちらとしてはそんなに最初から大がかりな気持ちで書いていたわけではなかったので、依頼人と「ツナグ」を巡るシチュエーションとして単純におもしろいものができあがればいいなという感じでした。

ただ、最終章にきて歩美の中に葛藤が生まれてきたんです。「会いたいからといって、死者を生きている人の都合や願望で呼び出してしまうのは、生きている人間のエゴなんじゃないか」と悩みはじめた。そこに突き当たった時に「私はもしかしたらここが書きたくて今まで書いてきたのかもしれない」と感じたんです。この葛藤こそが私があの年齢で死者の物語を描くことの意味だったのかもしれません。

どの小説もそうですが、私は「このテーマについてこう書きたい」という構想が最初から自分の中にあることはほとんどなくて、書くことを通してテーマに気づくこともありますし、本になって書評や感想をいただいたことで、読み手の言葉から、「そう、それが書きたかったんだ!」と視界が開けることもあります。

こういうことを事前に自分で把握していればもっと楽に書けたかもしれない、とも思うのですが、逆に把握していたら書けなかったのだろうとも思います。書きながら迷ったり葛藤しながら自分が本当に書きたかったことに辿り着くということの繰り返しです。これからもそうやって書いていくのだと思います。

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