伝承の謎を調査!鎌倉の鶴岡八幡宮にも安芸の宮島みたいな「海上鳥居」があった!? (2/4ページ)
まず「海上鳥居があった」とする根拠として、冒頭の地図を載せている『鎌倉大観(明治三十五1902年出版)』では、本文中に「若宮大路の正面の海中に昔八幡宮四の鳥居ありしが今はなし」という記述があります。
その根拠として『鎌倉大観』では室町中期の高僧・道興(どうこう。永享二1430年生~文亀元1501年没)が長享元1487年に著した『廻国雑記』という紀行文の中にある
「朽ちのこる鳥居の柱あらはれて(現れてor洗われて)由比が濱邊(=由比ガ浜)にたてる白波」
という短歌を挙げており、白波に洗われて鳥居の遺跡が出現した……そんなロマンチックな情景が目に浮かびますが、この「鳥居の柱」が「四の鳥居」とは明記されておらず、根拠としては決め手に欠ける印象です。
ちなみに、鳥居の位置は現在地以外にも確認されており、かつて一の鳥居~二の鳥居の間(鎌倉女学園より八幡宮寄り)に「浜の大鳥居」跡が平成二1990年に発掘された事が、少し話題になりました。
しかし、それは最も海岸線に近い一の鳥居よりも内陸側であり、一の鳥居をさし措いて海上に建っていた可能性は考えられません。
また、他の史料や古絵図を確認しても「若宮大路に同時に四基の鳥居があった」ことが確認できる記述や描写は登場しません。