「祈り方の先生」が教える、神社の参拝作法と日本神話の密接な関係 (3/4ページ)
――まさに神話の世界への没入ですね。
北川:「祓え給い、清め給え」と言いますけど、これは自分の罪穢れを祓え給い、清め給え という直接的な意味ではなく、神様の前で失礼にならないように罪穢れを祓って下さいという意味なんです。厄払いはまた別ですが、神様の前に出るまでにいかに心身が清浄になっていくか。そして、神様の前に出たら「祓え給い、清め給え」ではなく、「世のため人のため」と祈るんです。
――つまり、参道を通っていく中で、神様の前に出られるように自分を清浄にしていくということですね。では、日本人にとって、神社とはどのような場所だと思いますか?北川:日頃の疲れやストレスをリセットする場所。自己を見つめる場所ですね。自己を見つめるというのは難しいことだと思いますが、世のため人のために役に立っているかを見つめる場所といっていいかもしれません。祈りによって自己と対峙するわけです。
■15歳で神社参拝に目覚め、九頭龍神社へ ――最後に北川先生ご自身について教えてください。もともと神社参拝を意識したのはいつ頃だったのでしょうか?北川:これは15歳のときですね。もちろんそれ以前も親と一緒に参拝はしていましたが、自分自身が意識しはじめたのは15歳です。そのときには箱根の九頭龍神社に行っています。
――今ではパワースポットとして知られる九頭龍神社ですが、当時はどんな感じでしたか?北川:その頃はボロボロでしたね。参拝客もいませんでした。当時、九頭龍神社では玉子を9つ芦ノ湖に投げ入れてお供えし、御神酒を注ぐということをしていましたが、その後のパワースポットブームで芦ノ湖が玉子だらけになってしまい、今では禁止になっています。
――神社参拝に目覚めた15歳のときに何があったのですか?北川:その頃から神秘的なもの、あの世みたいな現実離れしたものに興味がありました。でも、今考えると神秘的ではないんですよね。神道はもっと現実に寄り添っているんです。道理に適っているというか。