閻魔大王の本当の目的は全ての人々を極楽浄土を送り届けることだった (2/5ページ)
■閻魔大王は日本にどのように伝わったか

その影響を受けて、日本においては、閻魔大王は平安時代(794〜1192年)の『日本霊異記』や『今昔物語集』に登場したり、鎌倉時代(1192〜1333年)には、唐末期の中国で道教と結びついて成立した、冥界において死者の罪を裁く10人の王を信仰する「十王(じゅうおう)」信仰が日本の支配層のみならず、庶民に至るまで受容されたことから、十仏事の中で五十七日に当てはめられ、地蔵信仰と共に広く信心されていた。
そしてそれは江戸時代(1603〜1868年)においても継続し、旧暦1月16日の初縁日、7月16日の盆の縁日の両日は地獄の釜の蓋が開く日であるとして、100カ所、閻魔大王を祀る寺を巡る、「百閻魔」が盛んに行われていた。例えば江戸百閻魔は、蔵前の長延寺(ちょうえんじ)を1番として、目黒、品川を経由し、千住まで一巡するもので、近在の寺もそれに合わせて、地獄絵図や十王図を掲げていたほどだったという。そのルートに入っていた品川区南品川の長徳寺(ちょうとくじ)は、今日では静寂な空気に包まれているが、かつてはこれらの日に多くの人々が参詣していたと言われている。
■閻魔大王が登場する仏教説話
閻魔大王が登場する仏教説話としては、例えば平安末期に成立した『今昔物語集』に、摂津國豊島郡(現・大阪府池田市全域、豊中市、箕面市、吹田市の一部を含む)にあった多々院(ただのいん)に身を寄せていた男の話(巻第13、第6)がある。
男は多々院で、法華経を日夜唱え、山林での仏道修行に専心していたひとりの僧を尊び、常にそのそばにいたのだが、ある時、病にかかった後、亡くなってしまった。しかし5日後に男は蘇った。男は妻子に、死後の世界での出来事を語り始めた…。
■蘇った男は閻魔大王をどのように語ったのか
冥界で閻魔大王は帳面を繰りながら、善悪の業を記した札を調べ、俺にこう言った。