閻魔大王の本当の目的は全ての人々を極楽浄土を送り届けることだった (4/5ページ)
さらに、閻魔大王が支配する地獄という「場所」は、閻魔大王そのものが垂迹であるため、「極楽」のような他界にあるのではなく、我々のいる世界の中ではあるが、例えば富山県・立山(たてやま)の地獄谷のような、山奥の特定の「場所」や、我々が日々踏みしめる大地の奥深いところに、亡者の集まる「地獄」があると考えられていたと論じていた。
■最後に…
それでは現在、「死後の世界」はどうなっているのだろうか。結局、「死んでからのこと」を我々は体験し、それを語るすべはない。世界中の様々な「臨死体験」にしても、その人がかつて読んだり、観たりことがある映画・ドラマ・小説・漫画・アニメなどで提示されたイメージが、死に直面し、意識が混濁した際、脳内によみがえり、まるで現実にその場にいたかのように思わせられる、ある意味「夢」「錯覚」に過ぎないのではないか、と言われれば、それまでだ。だが、我々が「地獄」と表現してきた人生のひとコマや、悲惨な事件事故、災害などと比べものにならないほどひどい「場所」に、場合によっては、「日頃の行い」や「過去の罪」によって行かねばならないとしたら、今の「ひどさ」や「悲惨さ」を、何とか、今だけだ。いずれは終わる…と自分を励ましながら、現世での「地獄」を生き延びてきた人々を見習うことしか、今を生きる我々にはできない。
もちろん、「そもそも天国も地獄もない。死んだらゼロ!無しかない。だから今、自分は好き勝手に生きる!」という考え方もあるだろう。それもまた、「死後の世界」が存在するか否かがわからない現状においては、「正解」かもしれない。
ただせめて、どんな形でも、死ぬことそのものから逃れることができない我々だからこそ、1日1日を悔いなく生きるしかない。だがそれが極めて難しいのもまた、人間の業、宿命ではあるが。