「天才」の正体と「天才」になる方法 (4/5ページ)
ところがもう一方の天才は、たしかに同じようにイメージ先行型で、判断も速く、知識も豊富なのですが、自分の才能に酔いしれているところがありました。
2人の天才の違いは、見えている風景をパズルに例えると分かりやすい気がします。
大学で出会った天才は、パズルの完成にしか興味が湧かないようでした。
しかしもう一方の天才は、パズルの完成よりも自分の才能というピースがその風景のどこかにぴったりハマっていくことの方に喜びを感じているようでした。ピースがはまると気持ちがいいし、周りが褒めてくれるともっと気持ちがいい。その喜びが高じて、自分は天才かもしれないと感じているフシもありました。
しかし真の天才とは、大学の時に出会った彼のほうだと思いました。
天才が自分自身を天才と呼ばない理由がよく分かります。「自分の才能」やそれによる「周囲の評価」には興味がないのです。パズルの完成にしか、興味はない。しかもなかなか完成しないパズルに、焦りを感じています。
大学の時の彼が、しばしば一人で寂しげにしていたり、世の天才たちが精神的な病理に悩まされる理由も理解できたような気がしました。彼らはおそらく、できない私以上に、いつまでたっても目標に到達できない自分にいらだっているのです。
■天才の定義と天才の正体
ここで私なりの天才の定義をまとめます。
◇天才の定義とは
天才とは、誰も見たことがない風景が見えてしまい強烈に感動している人のことです。
しかもその風景に到達するための方法がなんとなくつかめているために、才能の鍛錬に恐ろしい集中力をみせます。結果として周囲に「天才」と認識されることになりますが、才能は本人にとって道具でしかありません。
しかもその才能は急がなければ到達できないという焦りによる結果ですので、目的以外にその才能を利用されることに嫌悪感を覚えます。
すべては彼らが見ている「風景」が彼らを天才に見せていますが、その風景は過去の価値観の中で生きる人々には想像しにくいものです。