徳川家は明治維新後どうなった?将軍・徳川慶喜に代わり、わずか4歳で徳川家を継いだ「徳川家達」 (2/2ページ)

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1871(明治4)年7月、廃藩置県が断行され、華族の身分を保証された家達は東京へ移住。6年後にはイギリスへ留学し、1882(明治15)年に帰国した後は公爵の身分を授けられ、1890(明治23)年10月には貴族院議員となっています。

家達はその後、1903(明治36)年から1933(昭和8)年まで、30年間貴族院議長を務め、1914(大正3)年には首相への就任要請もありました。

ちょうどこのときにシーメンス事件(艦船購入をめぐる日本海軍の汚職事件)によって山本権兵衛内閣が倒れた時期で、徳川宗家の後継者ではあるが、政治色が薄いという理由から家達が選ばれたわけです。

徳川家達(1917年)

ところが、汚職事件という政治の混乱期に首相の座について何か問題があったときに家達のみならず徳川宗家の名誉に傷がつくことをおそれた家達は、「自分は首相の器ではないから」と要請を固辞。家達の就任は見送られ、代わりに大隈重信が内閣を組織することになりました。

以後、国際連盟協会総裁、ワシントン会議の全権委員、日本赤十字社社長、第12回オリンピック東京大会組織委員会など、様々な要職を歴任し、1940(昭和15)年6月、76歳で亡くなりました。「16代様」とも称された家達の人生は波乱に満ちたものでした。

画像出典:Wikipedia
参考:樋口 雄彦『第十六代徳川家達――その後の徳川家と近代日本』(祥伝社 2012)

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