長嶋茂雄×王貞治「魂が震える名勝負」10大秘話 (3/3ページ)

日刊大衆

このとき、9時8分。両陛下は9時15分になったら、お帰りになる予定だったので残り時間はわずか。そこで、長嶋は村山実のインハイのストレートを振り抜き、レフトポールぎりぎりに飛び込むサヨナラホームランを放ったんです」(前出の関係者)

 長嶋はこの日、5回にもホームランを打っていた。「王もホームランを打っており、初の“ONアベック”弾でしたが、サヨナラのインパクトには勝てません。この試合で、“大舞台に強い長嶋”というイメージが定着しました」(前同)

 続いては、王の【756号本塁打達成】。76年にベーブ・ルースの714本を抜いた王。翌年、目指したのはハンク・アーロンの世界記録755号だった。この年の王は、前半戦こそ不調だったが、オールスター戦後の16試合で12ホーマーと復活。ファンは、世界記録更新を期待した。

「8月31日に755号でアーロンに並んだあと、9月3日、後楽園でのヤクルト戦でした。3回裏、鈴木康二朗の4球目を右翼スタンド中段に叩き込んだんです」(前出のOB)

 その日は、王の両親が観戦に訪れていたという。両親は試合前に王を訪ね、母親の登美さんが“リンゴと鈴虫”を手渡したとか。「リンゴはチームのみんなで。鈴虫は孫たちからよ」

王は、こう述懐する。「試合前に一人で鈴虫を眺めていたら、不思議と喧騒を忘れて集中できた。あのリーンリーンという音が、今でも耳に残っているよ」

世界のホームラン王の名前は、メジャーリーグでも知らぬ者はいない。

■長嶋の【地獄の伊東キャンプ】

 王が本塁打の世界記録に挑んでいたとき、長嶋も指揮官として戦っていた。79年に5位となった長嶋巨人が、浮上のため敢行したのが、語り草になった【地獄の伊東キャンプ】だった。

「79年のオフ、29日から始まりました。“どのチームもやったことがない練習”を目指した長嶋監督は、期待の若手18人をいじめ抜いた。中でも、しごかれたのが松本匡史です」(OB)

 キャンプ初日、松本は長嶋監督から外野転向、左打ち転向を言い渡される。

「無茶振りもいいところですよ(笑)。ただ、長嶋監督は朝6時から松本のトスバッティングにつきあい、守備練習では自らノック。松本は、“バットから指が離れなくなって、はがしてもらった”という壮絶な体験をしました」(同)

 伊東キャンプを経て確実にチームは底上げされ、翌80年シーズンは3位に浮上した巨人。手応えを感じた長嶋が、「今年もやる」と意気込んだが、球団からはストップがかかった。

「ミスターは“だったら、ポケットマネーでやる”と言いだして、堀江マネージャーに費用を調べさせていました。それくらい、やる気だったんです」(当時の球団関係者)

 残りの名勝負は、12月23日発売の『週刊大衆』1月6・13日号で。

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