正体は忍者だと!?人気スポット・新大久保にかつて住んでいた百人の鉄砲隊とは? (1/2ページ)

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正体は忍者だと!?人気スポット・新大久保にかつて住んでいた百人の鉄砲隊とは?

江戸城には、「百人組(鉄砲百人組)」といって、根来組、伊賀組、甲賀組、二十五騎組(廿五騎組)の4組の組織が常時交代で番所に詰めて警護していました。

その番所のことを「百人番所」と呼び、今も江戸城の中に当時のままのその姿を確かめる事ができます。伊賀や甲賀は忍者を輩出した里として有名なため、百人組の実態は忍者だったのではないかともいわれています。

百人番所で江戸城を警護していた100人組織「百人組」実態は忍者だったのか!?

歌川豊国 画

その「百人組」とは、いったいどんな者たちだったのでしょうか?

根来組

天正13年(1585)に根来寺の衆徒が豊臣秀吉に討伐されたのち、徳川家康に浜松で召し出されて組織された根来組。

伊賀組

伊賀(三重県)の歴代服部半蔵が率いた武士の集団が、伊賀組です。服部半蔵といえば、徳川家に仕えた忍者の名として、忍者の中でも最も有名な名前なのではないでしょうか。

お察しの通り、この伊賀組こそは徳川家康が本能寺の変の後逃亡した際に道中を警護した伊賀忍者の子孫から構成されていたのです。

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