光秀・信長・秀吉…戦国大名に学ぶ「早死にするめし」「モテモテ長寿めし」 (2/3ページ)

日刊大衆

繊細でヤワな感じもする従来の光秀のイメージは誤りだと指摘するのは、『明智光秀は二人いた!』(双葉社)の筆者で、歴史研究家の跡部蛮氏だ。

「光秀には享年が55だった説と67だった説がありますが、用いる史料の信憑性からいっても、67歳が正しいでしょう。“人生50年”といわれた戦国時代からすると、かなりの長寿。しかも光秀は、山崎の合戦で討ち死にする年の年明けに、側室に男子を産ませているんです。徳川家康が61歳で側室との間に十一男の徳川頼房(のちの初代水戸藩主)をもうけた話は有名ですが、光秀は“家康の記録”を6歳も更新しているんです」

 そんな光秀が好んでいたのが、“みそ汁パーティ”だという。「客に具を持ち寄らせ、みそ汁に入れて飲むんです。光秀が好んだ具が、サトイモ、ゴボウ、ネギ。そこに猪の肉を加えたりしたようです」(郷土史研究家)

 “三本の矢”の教えで有名な毛利元就は、67歳の年に子どもをもうけた光秀をさらに上回り、70歳で側室を孕ませている。龍造寺家兼に至っては、90歳で出陣したという記録も残っており、戦国武将はまさに生涯現役なのだ。

 なぜかくも、元気なのか。『武将メシ』(宝島社)などの著書で知られる食文化史研究家の永山久夫氏は、こう分析する。

「戦国武将のうち、男性ホルモン(テストステロン)が強く、性欲も旺盛だったのは、北条早雲、毛利元就、そして、三英傑の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康だと言えます。これは当時の文献などで、武将が何を食べていたのかを調べて分かったことです。テストステロンが強いと強力な筋肉と骨格ができあがりますし、闘争本能も強くなります。

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