平和や幸せを願う宗教が戦争やテロを生み出す。劇薬と良薬を併せ持つ宗教。 (1/3ページ)
戦争、紛争、テロなど争いの多くはその背後に宗教を抱えている。宗教は平和を説くはずなのになぜ戦争をするのかと、誰しも一度は不思議に思うことがあるだろう。宗教というものは善を説き、倫理を語り、道徳を教える。その目指すところは絶対平和・平等、心の安寧である。しかしそれはあくまで宗教の一面に過ぎない。マルクスは「宗教は阿片」だと言ったが、宗教は阿片どころではない劇薬を秘めている。
■オウム真理教で考える宗教が孕んでいる危険性
オウム真理教事件は宗教の危険性をよく表している。一般常識、社会通念に照らすなら、彼らは宗教家の皮を被った殺人者、テロリストである。宗教、仏教を名乗るなど言語道断ということになる。しかし、それほど単純なものではない。オウムは殺人をこの世では救われない魂の救済手段として正当化していた。つまり殺すことで魂を「解脱」させてあげようという理屈であった。彼らはその行為を「ポア」と呼んだが、本来の「ポア」とは、魂を身体から抜くとされるチベット密教の身体技法である。オウムはこの「魂を身体から抜く」行為をこちらが「やってあげていた」慈悲の行為であると解釈した。一般常識からは理解し難い論理であるが、オウムがゼロから無理やりこじつけた理屈でない。仏教、特に密教にはそうした闇が存在する。
■密教の闇
チベット密教の高僧ドルジェタクは「度脱(呪殺)こそ、解脱の近道にして、慈悲の道であり、慈悲の武器」と断じており、多くの人間を呪殺したと伝えられている。なぜ呪い殺すことが慈悲なのか。つまり現世では救われない悪しき魂を仏国土(極楽浄土など)に往生させる慈悲行であるとする。これはオウムの理屈とほぼ重なっている。
もうひとつは「空」の思想である。仏教では生成も消滅もない、すべての存在は幻であると考える。幻に殺すも殺されるもなく、すべてが「空」であれば殺人という言葉すら成り立たない。密教学者・正木晃は「空」は大乗仏教の核であると同時にこれほど危険をはらんだ真理もないと述べている。
もちろんほとんどの宗教者はそのような「闇」に落ちることはない。しかし元々宗教とは現実を超えた「超現実」の世界を提示するものであった。我々の生きる現実世界と同じ次元に留まるのであれば宗教など必要はない。