自分って磨くものではなく「磨かれるもの」 (1/2ページ)

自分磨きというあいまいな言葉じたいが良くないのだろうと思うのですが、よく「自分磨きって、なにをすることですか」と質問されるので、今回は自分磨きについて一緒に見ていこうと思います。
「自分磨き」で検索すれば、自分磨きの具体例がいくつも出てきます。たとえば、朝早く起きることは、自分磨きなんだそうです。あるいは愚痴を言わないというのも、自分磨きなんだそう。水回りをキレイに掃除するのも、靴を磨くのも、自分磨きだそうです。
要するに、常識ある社会人として、自制心をもって生きるように心がけること、あるいは自制心のある言動をとることが、自分磨きとされているようです。
もちろんみなさん若いので、髪のこと、ネイルのこと、ファッションのこと、もう頭のてっぺんから足の爪にいたるまで、磨こうと思えば、相当な興味をもって磨けると思います。心、つまり内面も外面も、磨かないよりは磨いたほうがいいです。
でも思うんですが、自分って、みずから磨くものでありつつも、他人が磨いてくれるものでもあるんです。他人が自分のことを磨いてくれるというのは、たとえばあなたのまわりにいる素直な人を見ていたら理解できると思います。
素直でよくはたらく人って、上司から仕事を任されます。任された仕事をやり遂げる中で、いろんな人と出会います。いろんな場所に行きます。そういうことを繰り返すうちに、素直な人はどんどんいろんなものを吸収して、人間的にも、女性としても、より成長するわけです。
つまりこの例で言うなら、素直な性格ゆえ、上司から仕事を任されたことをきっかけとして、(いわば会社のお金と時間をとおして)自分磨きができているわけです。
もっといえば、自分って、他人とのかかわりを通してしか、磨かれないようになっているということです。