東京都葛飾区堀切にある浄慶庵の「湯殿山供養塔」について調べてみた (2/4ページ)

心に残る家族葬



供養碑のそばに立てられた説明板によると、浄慶庵を創立したとされる郷士・相川重右衛門の子孫である文右衛門夫婦が、江戸時代初期の1664(寛文4)年、旧暦2月のお彼岸の初日に、「逆修(ぎゃくしゅ)供養」、すなわち、生前に自分の死後の冥福を祈って仏事を営むために建てたものであるという。

■10体の即身仏が眠る湯殿山

6世紀ごろに開山したとされる修験道の道場である出羽三山の中でも湯殿山は、「奥の院」「秘所」「最終極点の地」とされている。それは、他の月山(がっさん)、羽黒山(はぐろさん)のように、山そのものではなく、温泉が噴出している赤褐色の岩が御神体であることばかりではなく、出羽三山の世界観・構成要素が大きく影響している。

神仏習合、本地垂迹した真言系修験による出羽三山信仰において、月山の本来の姿(本地)は阿弥陀如来で、羽黒山は聖観音菩薩。湯殿山は、古くは前方にそびえる薬師岳の薬師如来と捉えられてきた。それゆえ、月山は阿弥陀仏の浄土であるため「過去」とされ、羽黒山は観音浄土の「現在」、そして湯殿山は、薬師瑠璃光如来の浄土として、「未来」と見なされてきた。つまり、月山、羽黒山を経て湯殿山に至るということは、過去、現在における衣食住にまつわるもろもろの煩わしさを払い落として、時間を超越した、大日如来がいる密厳(みつごん)浄土で仏となり、未来永劫生き続けるということを意味しているのだ。そしてその究極の形が、「即身成仏」。それは、弘法大師空海(774〜835)がなした究極の修行・土中入定(どちゅうにゅうじょう)の思想を基盤として浄土を願い、生きている状態のまま、成仏することを目指すものだ。

即身成仏を志した行人(ぎょうにん)は食を少しずつ絶っていき、一定の期間を経た後、地中に埋められる。通気や地上との連絡は確保されているため、「生き埋め」にして放置したまま死に至らせるわけではないが、行人は何も食べずにただひたすら読経をして過ごす。そして最終的に、ミイラ化した「即身仏」となる。湯殿山の即身仏は10体を数え、特に有名なのが、湯殿山中の注連寺(ちゅうれんじ)の鉄門海上人(てつもんかいしょうにん、1759〜1829)だ。
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