本能寺の変で安土城を焼いた真犯人は?明智光秀の娘婿・明智秀満が無実と主張する根拠を紹介 (4/5ページ)

Japaaan

加えて、坂本城への撤退は態勢を立て直すのが目的ですから、火など放ったら動静が敵に知られてしまう(追撃されるリスクが高まる)ため、得策ではありません(そのくらいは心得ていた筈です)。

それでは、安土城を焼いた真犯人は?

そして何より、安土城が焼失したのは秀満が自害した翌日(6月15日)。宣教師ルイス・フロイスの記録「日本耶蘇会年報」によれば、秀満が退却した後に入城した織田信雄(おだ のぶかつ。信長の次男)の不始末を火災の原因としています。

愚鈍として評判の悪い織田信雄。Wikipediaより。

「奇狂であるのか愚鈍であるのかでないのだとしたら、なぜそんなことをやったのかわからない」
※ルイス・フロイス「日本耶蘇会年報」より。

当時、信雄は秀満が完全に撤退したのを知った上で占領しておきながら、焼かなくてもいい安土城を焼き払ってしまい、この愚挙が後世まで愚鈍とされる信雄の評価に大きな影響を及ぼしました。

では、なぜ大村由己『秀吉事記』や小瀬甫庵『甫庵太閤記』では秀満の仕業とされたのかと言えば、考えられるのが「秀吉への忖度(そんたく)」です。

彼らの主君であり、明智光秀・秀満らを打ち破った羽柴秀吉は、後に清州会議(信長の後継者争い)で信雄を推したため、信雄の愚鈍なエピソードを書こうものなら、遠回しに秀吉の見る目を疑う事になってしまいます。

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